永岩城

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 2002年9月11日、休みを利用して永岩城という山城へ撮影に行ってきました。

 豊前の国の守護職宇都宮信房は弟重房に下毛郡野仲郷を分与した。 重房は姓を野仲と改め建久九年(1198年)に永岩城を創築した。 以後野仲氏二十二代、三百九十年間の居城となった。 天正十六年(1588年)黒田長政の精兵三千五百の騎大群に攻められ、 迎え撃つ永岩軍は城主野仲兵庫守鎭兼以下一族郎党七百余、与力 雑兵八百余、合せ総勢千五百余、難攻不落を誇った堅城に楯篭もり 勇戦したが、多勢に無勢、遂に落城し、野仲一族は自決滅亡した。 以後廃城となる。
〜永岩城址保存会案内板より
 67IIにフィルムはネオパン400プレスト、レンズは45、90、100、165。 一脚はマンフロでタムラックのエクスペディション5に納まりました。 35mmは持って行く余裕がなくパス。  カメラバッグを背負ってバイクで出発し、9時に入り口に着きました。 駐車場はありませんのでごみ置き場みたいなところにバイクを寄せて、 あぜ道を通って橋を渡り、 急斜面を登り始めますと、すぐに一之城戸という石塁がありました。両手で持てるぐらいの 大きさの石がきれいに積んでありました。昭和57年に修復工事が行われたそうですが かなり荒れています。
川沿いの道を少し行くと二之城戸。ここで川を渡りました。 道の両側に一之城戸と同じような石が積んでありました。
道は拳大の石がごろごろしており 非常に歩きにくく、猪のものと思われる糞が散見されましたので、カメラバッグに 付けていた一脚を手で持つようにしました。
続いて三之城戸が現れます。次第に石塁が立派になっていきます。 右に折れて、まずは本丸を目指しました。
ここから道は急斜面に張り付くように なっていきます。 あまり人は来ないみたいで道が消えつつあり、 慎重に道を探しながら進みました。
 程なく東文台に着きました。
ここから本丸まで左手に石塁を見ながら やはり急斜面を登っていきました。
本丸はこの山の頂上でもあり、標高600m弱の ようです。平地が広がっているのですが、現在は木がたくさん生えており、石塁以外に 本丸の面影はありませんでした。
本丸の入り口です。 ここから西文台に向かいました。急斜面の 下り坂で、石塁はありますが、東文台ほどはっきりした平地があるわけではありません。
そのまま水場へ向かいました。水場は看板が立っていましたが、 水は枯れていました。でも何者かが掘ったような跡があり、これも猪でしょうか?
さらに下っていくと一度通った道に合流しました。川まで下って川沿いに少し登って、 今度は左側の石積櫓を目指しました。 途中、巨大な岩に木が張り付いていたので撮影しました。
 陣屋跡は山の谷に作られており、さらにその谷を登っていくと3mぐらいの 絶壁に当たりました。 その絶壁にアルミのはしごがかけてあり、これを登ると山の尾根に出ました。
尾根沿いにしばらく進むと石積櫓がありました。 この穴から鉄砲の銃口を突き出して登ってくる敵を狙撃したのでしょう。
わかりにくいですが、穴はいくつかあいていました。 屋根がついていたのではないかという説もあるそうです。
正面から
 来た道を戻って、はしごの手前を右に行くと弓形砲座があるのですが、 道が崩れており、たどり着けませんでした。陣屋跡を右に行くと馬場がある らしいのですが、体力的にすでに限界に来ており、今回は諦め、帰途に着きました。 出口にたどり着いたのは13:30ごろで、歩いたのは4時間ぐらいです。 結構ハードな山道でした。今回は一脚を持っていったのですが、 縦位置でシャッタースピード1/15ぐらいが怪しかったです。 しっかりした三脚が欲しくなりました。レンズは100mmと165mmは 出番がありませんでした。

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